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マレーシアの経済計画とブミプトラ政策

クアラルンプールの街を歩くと、実に多様な民族がいる。色黒なのはおそらくマレー人、日本人と顔の系統が似ているのは中国系、顔の彫が深く色黒なのはおそらくインド系であろう。

この国の課題は、この民族間の経済格差の解消ということであったし、現在もそうである。

多数派はマレー人なのだが、経済を支配してきたのは中国系であった。マレー系は、生産性の低い農業に従事し、地方に住む人が多かった。一方、中国系は、ビジネスを支配してきた。

そして経済格差から国民の不満が高まり、爆発したのが1969年に発生した民族闘争である。

この民族闘争をきっかけに、導入されたのが、New Economic Plan(NEP)で、その目的は民族間の経済格差の解消、特にマレー人の貧困解消にあった。いわゆるブミプトラ政策(土地の子優先政策)である。

NEPは1971-1990年に実行された経済計画であった。また、Outline perspective Plan 1(OPP1)とも称される。

NEPでは、マレー人の現代産業への参加、資本参加に力点が置かれた。多くの公的機関が設立され、マレー人は優先的にそこで職を得ることができた。

次いで1991-2000年に実行されたNew Development Plan(NDP)(あるいはOPP2)では、NEPを踏襲しつつも、人的資本の形成、民間活力の導入に力点がおかれる内容となっている。

近年導入されているNew Vision Planでは、前回までの計画を踏襲しつつも、グローバル経済への適応や知識基盤社会の形成が目的にあげられている。

マレーシアは中央集権制が非常に強く、計画を強力に遂行してきたことが高成長につながってきた。経済計画の基本理念は、高成長達成のための産業振興と民族間、特にマレー人の貧困の解消だった。

しかし、ブミプトラ政策は、外国から進出する企業にとって、制約となっている一面もある。たとえば、外国資本がマレーシアで会社を設立するためには、マレー人資本を少なくとも原則として30%は受け入れた合弁会社でなければならない。

電気電子産業が大きく発展したのは、海外直接投資(FDI)を受け入れたからであるが、これは、自由化と規制緩和の影響が大きかった。すなわち、従来はマレー人による70%の資本参加が求められたが、高度技術を有し、輸出志向型の産業については、外資の100%子会社の設立が認められたのである。言い換えれば、ブミプトラ政策の規制を緩めたことが、経済発展のきっかけとなったとも言える。

野党は、民族間の格差の解消はもはやあまり意味をもつものではなく、むしろ都市と地方の格差こそ解消しなければならないとしている。

現在、マレーシアは、新たな経済計画を策定中であるが、ブミプトラ政策についての緩和が焦点になっている。経済は、今年3月に行われた発表では、ブミプトラ政策に言及がなかったことを報じている。そして、ブミプトラ政策の転換については、内外の最大の関心事ともなっている。

参考文献:Malaysia's Economy

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プロフィール

Author:Asia Seeker
自由業(主として投資家)

2010年5月よりマレーシアに滞在予定。現地から成長著しい経済や企業活動について情報収集、発信する。あわせて株式投資も行う予定。

株式投資歴10年以上、日本の株式市場の酸いも甘いも経験して、金融資産を5倍以上に増やし、会社を退職。

低成長下での日本株投資は長期的なリターンが期待できないと判断し、東南アジアの経済を研究し、株式、不動産投資の可能性を追及する。

都内国立大学で経済学、金融を専攻。保険会社で資産運用業務などに従事。証券アナリスト

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